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廣島 武 X 保阪 薫
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2007年07月30日

あるカレー屋の閉店 〜再開発の陰で〜

先日、日本橋でのミーティングを終えたあと、久しぶりに好きなカレー屋に向かいました。神田、日本橋あたりに勤めている人なら知っている人も沢山いると思いますが、私も20年以上前、野村證券の本社にいた頃先輩に教えてもらって以来、機会があれば通っている店です。

ただ、ちょっと変わっています。


・店名は不明。「珈琲」という看板がかかっているだけ。
・「珈琲」の看板にもかかわらず、メニューはカレー1品のみ。コーヒーを飲んでいる人は見たことなく、知らずに入った人がコーヒーを頼むと、カレーだけですといわれている場面を何度か見ました。
・でも高齢の紳士がコーヒーを飲んでいるのを見たこともあるので、永年通い続ければそういう待遇を受けることができるのかもしれません。
・店員さんは全員女性で、バンダナを着用。店主らしきおばあちゃんがカウンターの向こうにいます。


カレーは、スープカレーのようにサラサラでかなりの辛口ですが、なんともいえない「コク」が病みつきになります。夏場の食欲無い時でも、汗をかきながら食べると一気に元気が出ます。テーブルには粉チーズが置いてあります。辛さを抑えたいときはこれをお好みでかけます。私はあまり使いませんが、かけたその味もまた別の味わいがあります。


問題は臨時休業がちょくちょくあること。今回も休業でないことを祈りながら、店の前に着くと、懸念していたように休業の模様で、がっかりしながら張り紙を見ると、「50年にわたりご愛顧いただきましたが、体調が悪く閉店いたします。」というショックなお知らせでした。もう二度と食べられない無念さと、コーヒーにまでたどり着けなかった後悔を胸に、仕方なく店を後にしました。
その後、やはりその店のファンである知り合いに話してみると、店主の年齢もあるのですが、店のあたり一帯が再開発されるとのこと。(あくまでも未確認情報ですが)
日本橋も、大規模な再開発が現在も進んでいるので、その余波が及んできたということのようです。


それにしても東京の街並みの変わりようは「凄まじい」ものがあります。
私が野村證券に在籍した頃、「含み資産」が投資テーマになりました。当時は単に静的な資産価値のみが話題となりがちでしたが、

「現在は工場や遊休地など収益性の低い土地に、高層ビルを建てれば豊富なキャッシュフローを生み出すことができ、収益力が向上する。」

というのが本来のストーリーです。
まだ工場として使用している豊洲や東雲を見に行った時に、そんな高層ビルが出来るとは思いも付きませんでした。
「含み資産」や「Qレシオ」がバブル発生のキーワードであったことは確かですが、豊洲、晴海、汐留などなど、「凄まじい」変貌ぶりを目の当たりにしながら、80年代後半の日本が世界史上でも特筆すべきバブルであったことを考えると、ここでもある意味での株価の先見性が見事に発揮されたのだと感じています。


さて、確かに綺麗で近代的なビルができ、お洒落にショッピングや食事を楽しめる店がたくさんできるのは、景気や経済効果という点からは歓迎すべきことなのでしょう。
しかし、その一方で「長い年月」という簡単には手にすることが出来ない価値を維持してきた味わい深い店がどんどん姿を消しているのも一方の現実です。

先のカレー屋は店主の体調という事情もあったようですが、銀座六丁目で小さなバーを営んできた知り合いのマスターが二人、相次いで再開発で店を閉めざるを得なくなりました。再開発で小さなビルが取り壊され、大きなビルに建て替えられれば、家賃も保証金も当然上がるでしょうし、バーテンダー一人で経営する6人も入れば一杯の小さなテナントなど、見向きもされないこともあるでしょう。事実、そのうちのお一人は銀座で再開希望なのですが、いまだ店舗が見つからないようです。また、これも人から聞いたのですが、銀座でも著名なお蕎麦屋さんも、近いうちに再開発に伴い閉店するそうです。


戦前からの銀座やその他繁華街を知っているわけではありませんし、極端な懐古趣味というわけではありませんが、日比谷の三信ビルが閉館し、有楽町でガード下の風情をわずかに残しつつも巨大なビルが建設中なのを見ると、日本人の価値観が急速に一方向に向かってしまっていることを強く感じます。

カテゴリー : 保阪 | 投稿者 : 保阪 薫 | 20:02 | コメント (1)

2007年07月04日

高まる個人株主の意識

ある顧客企業とのミーティングでの席上、終了したばかりの株主総会がテーマとなりました。
昨年9月末の株主数が約3,000名の当企業、出席株主数は約30名ほどで、そう多いという訳ではありませんが、昨年の総会と比べると10名ほど増加したそうです。

それ以上に特徴的だったのは、議決権行使率が約90%へと非常に高まったことで、企業側も驚いていました。(前年は60%台)


総会の議案に、今はやりの敵対的買収対抗策が入っていたわけでなく、ごく一般的な議案だったにもかかわらず、こうした結果となったのは、もちろん当企業がまだ上場2年目ながらも個人株主に対し積極的なIR活動を展開していることもあるでしょうが、やはり昨今の企業と株主の関係を考えさせる様々な話題や事件を背景に、個人投資家の株主としての意識が急速に高まっていることの現れといえるようです。


また別の企業では、株主優待制度の話となりました。
この企業は今年の3月から株主優待を導入したのですが、株主総会後の株主懇親会でもその話題となり、それをきっかけに、中期展望など様々なテーマで会話が盛り上がったとのことで、個人株主との関係強化に株主優待が役に立ったと仰っていました。


株主優待そのものに関しては賛否両論ありますが、長期保有による安定化や個人株主との関係強化が企業価値向上につながると考えれば、日本独自の制度とはいえ、一定の意義・役割が認められると言えそうです。
ただ、本質的な企業価値向上を求めるとすれば、企業側の努力がもちろん第一ですが、個人株主にも直接的な経済的リターンを求める権利意識のみでなく、その企業をサポートすることが豊かな社会作りにつながるという、「貢献」という意識が必要となるのではないでしょうか。


日本特有の株主優待ですが、果たしていつごろから導入されたのでしょうか?
そんなことを思っていた矢先、6月発刊の文春新書『昭和12年の「週刊文春」』を読んでいたら、各方面地獄耳(昭和12年12月号)というコーナーに面白い記述がありました。
盧溝橋事件に端を発する日中戦争が始まったこの年、戦時色が急速に強まる中、当時国民に大人気であった六大学野球の入場者が激減し、ましてや(当時はマイナーだった)「職業野球」も大きな影響を受けたというくだりです。


『後楽園グラウンドが出来たから、見物は大分多くなった。と云っても知れたものだ。矢張り六大学リーグに押され、神宮球場が満員になっても、ここは満員にならない。それから見物が入っても株主券と招待券が多いので、その割合に収入は増えていないそうだ。』


後楽園球場の所有者だった株式会社東京ドームの設立が1936年(昭和11年)12月ですから、設立直後から株主優待制度(当時そう言っていたかは不明ですが)を導入していたことになります。多分、電鉄会社や百貨店なども導入していたのでしょう。


(ところでこの『昭和12年の「週刊文春」』、当時の風潮や日独協定、東京オリンピック、ダンスホールやパーマネントの禁止などに対する国民の意識が知る事が出来て大変興味深い本です。)


カテゴリー : 保阪 | 投稿者 : 保阪 薫 | 15:51 | コメント (2)

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社長プロフィール
代表取締役社長
廣島 武
1963年生まれ。駒沢大学経営学部卒業。1985年三洋証券株式会社入社。日本インベスターズ証券を経て、2000年当社設立。三洋証券時代より、個人投資家への資産運用アドバイス業務に一貫して従事。
代表取締役会長
保阪 薫
1961年生まれ。京都大学法学部卒業。1984年野村證券株式会社入社。シティバンク・プライベートバンク、日本インベスターズ証券などを経て、2000年当社設立。
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